列車に置き忘れる

東京から帰ってくる最終の新幹線は名古屋でも京都でもくどいほどにお忘れ物にご注意アナウンスをしていて、10号車の14番E席の下にあるかばんやデッキに置きっぱなしの紙袋についてのアナウンスもしていて、ああきっとこの電車は毎日忘れ物をいっぱい乗せて走っているんですね。のぞみ161号。寝たり起きたりしながら2時間半過ごしても酔いの醒めない頭でめっちゃ素晴らしい思いつきや言葉がキラキラと矢継ぎ早に浮かんで来るんだけど、家に帰って同居人としゃべってお風呂に入って寝たら忘れた。寝入りばなにも何かいろいろ楽しいことごとを考えていた気がするのですが、今や雲をつかむかんじ。まあこういうのはよくあることで、水溶き片栗粉がもわもわ真っ白になってるような状態なのだろうから、ほっといたらそのうち沈殿して、その時気が向けば言葉になってくれるのでしょう。脳にたくさんの情報が入ったあとはいつもそうです。20年前なら知恵熱出してるとこですが、今や酔いとともに飛ばす方法を覚えてしまいました。これをスレたというのか。しかしせっかくモワモワと巻き上がっても、言葉にならないまま澱のようにヘドロのようになってる何かもあると思います。が、そういうのもなるたけすくい取りたいと思うのです最近は。

やってもうた

初対面のひととか久しぶりのひととかに異様に興奮する私ですが、昨日もまたそんな感じでした。いくら反省しても飲んでゆるーくなるともうムリだす。最近は異性の好みを聞かれたときに「理系!理系!(フガー!)」とは言わずに「キャパが広くて安定感のあるインテリメガネ(メガネは無くても可)」と答えるようにしているのですが、昨日は「コンパ」というわけじゃなかったんだけど、理系(しかも私が大尊敬してしまう建築・設計系)インテリ独身男子がいたんですよ。だのに…、オッサンふたり(と言ったら失礼な若さですが、まあとにかく既婚者だしざっくりとそういうくくりで)とえらいこと盛り上がってしまい、『MASTERキートン』と落語とナンシー関の話をひとしきりしてしまいました。やっぱりヤワラ結婚式とか亀田とか、そういうのを見るにつけ「ナンシーに見せてあげたかった…」「彼女が生きていたら何と言ってくれただろうか…」と考える人はたくさんいるんだなあ!ほんと惜しい人を亡くしたものですよ……。いやいやいや、違う違うそうじゃなくて。ダメなんですよこれじゃ。こんなだから、オサーンとは楽しく飲めても、普通にモテない。なんで私は好青年の方を向いてしゃべれなかったのかなあ。ふつう、最初が肝心でしょ。

いつも「最初から飛ばす」のはなんでなのか。「こういう俺だがそれでもいいか?」という踏み絵として、出しているのだとしたら作戦としてものすごく間違っている気がします。そんな…最初から全部出さなくてもいいのに…(ここでもMっけなのか)。だいたいいつも「これ以上高いところは飛べない」というところから始めてしまいます。私は何かこう、生き物のメスとして欠陥があるのかもしれないという気がしてきました。

初対面から好かれる魔法の話し方

初対面から好かれる魔法の話し方

ひとり下手

最初からひとりなら平気なんですよ。誰かといて、途中で別れるから寂しくなる。私の寂しさはそこにある。

中島らもがエッセイで山岸凉子を絶賛していて、その時に「山岸凉子のマンガで、なぜひとりでいるのかと聞かれた登場人物が『出会ってしまうと、別れるのが辛くなりますから…』と言うシーンがあって、それが好き」的な*1引用がありました。私はそのエッセイを読んでからだいぶ経った後に山岸凉子を好きになり、わりとたくさんの作品*2を読んだのですが、そのセリフをまだ見つけられていません。どの作品に出てくるんだろうね? まあとにかく「出会いは別れのはじまり」で「さよならだけが人生だ」ってことなんですけれども。でもだからって「じゃあ誰とも出会わない」なんて人生を私は選べないですよ。

中島らも山岸凉子も大好きな作家ですが、今これ書いてて急に「寂しさ」でつながりました、私の中で。

何も大した別れ(恋人と別れる、誰かと死別する、等)があったからこんなことを思ったんじゃないんですけどね。日常の、ほんのちょっとしたことで私は寂しさを感じるので、「なんで?!」と、また病気(自己分析という病)が出ただけです。

昨日、会社の子とお茶していたら友人*3から「近くにいるから一緒に帰ろうか」とメールが来ました。お茶してる場所まで来てもらって、しばらくしゃべってたら「ちょっと歩きたかってんけど、ここまで歩いて来たから満たされたし、やっぱ電車で帰ろうかな」とか言い出した。えー。なんでそんなこと言うの?一緒に帰ろうよう!! ……と、なるわけですよ私は。まあ、結果的には一緒に帰ったんですけれども、彼女曰く「でも今んとこ私はあんたの行動に影響与えてないで? 私が移動してきたわけで、あんたを移動させたわけじゃないしさあ」とのこと。まあな、まったくその通りなんだけど、なんか寂しいじゃん。私が勝手に精神的に振り回されてるだけかもしれないのですが。心の準備が段取りが。

同居人に対してもそうです。こないだそれでケンカしたんですけどもね。別にいなければいないでいい。でも、夕方とか夜に急に出て行かれると、むちゃくちゃ寂しい気分になって「なんで先に言うといてくれへんかったんよ。予定立てづらいやん」と半ギレ気味に対応してしまうのです。彼女に言わせれば「でもあんたずっと家にいたやん」ってことなんだろうけど、でも、なあ。急にいなくならないでよ。心の準備が段取りが。

最初からひとりってわかってたら、全然平気なんですよ。そういう風に心の段取りするもの。ひとりで行動*4できるし、ひとりで家にいるのも好き。でも、今までいた誰かが、私の心の準備もなしに、いなくなるのが怖いのです。予定が狂うの、予定がなくても。両親健在だし虐待も受けてないし、そんなトラウマないはずなんだけどねえ。

ああ、でも、やっぱ幼少のころの影響は少なからずあるのかもしれません。ひとりっこだしなあ*5核家族のひとりっこって、家に「自分と両親」しかいないんですよ当たり前だけど。自分以外の人間は、親だけ。チビのころの私からしたら、親がいないのは世界が無いのと一緒だもん。さっきまでいたはずの親がいない、とかってものすごい恐怖ですよきっと。親離れや成長する過程でそういうのは克服していったんだろうけど、私の根っこにどこか「放っておかないで」という気持ちが残っているフシがあります。そう、放っておかれるのが最もキライで苦痛で恐怖なのです*6。だからこんなに構ってちゃんになっちゃった*7

そういうわけで私は、最初からひとりでいることや、予定として単独行動になると分かっていることや、自分から去っていくことに関しては大丈夫(それは私にとって親離れであり、成長だから)なんだけど*8、置いて行かれたり、放っておかれたり、私の家にいた友達が帰ったり、自分だけがいなかったことを後から聞かされたりするのが苦手なのでしょう。パーティが終わるのはしょうがない、けれどパーティ会場に私を置いてかないで。おお、そういうことですね。腑に落ちた。ので、本日の自己分析終了。

鬼 (希望コミックス (288))

鬼 (希望コミックス (288))

*1:手元に資料も何もないのでアレですが、文意としてはこんな感じ

*2:文庫になってるのは全部ウチにあります

*3:近所に住んでてしょっちゅう会ってる15年来の友。前日も会って4時間しゃべってる

*4:お茶、ランチ、晩ごはん、飲み、映画、買い物…。一通りはお一人様可能です

*5:自分がひとりっこで、親の愛情を独り占めした代わりに親からの期待やプレッシャーも全部受け止めているがゆえに、私はひとりっこ反対派です。事情が許す限り、子供は2人以上持つべきだと思う。少子化ウンヌン関係ないぜ。これはひとりっこからの心からのお願い

*6:私がいくらドMでも、放置プレイだけは心の底から無理だとおもいます。多分逆上します

*7:構ってもらうための方策として、サービス精神が過剰に育って、Mっぽくなったと推察されます

*8:しかし誰かを振るのは苦手。相手の立場で置いてかれる辛さを想像してしまうから。まあそれでも振られるよりはマシなんだけど

画像

長文ばっか書くもんだからあまりにも文字文字のサイト面です。なのでこれからは、レビューじゃなくても最低1コくらいはアフィリエイトをひっぱってくることにしました。アサマシい気持ちからではありません(だって儲かるような状況じゃないし)。

そういう道に進むつもりはさらさらないけれど。

いじられたがりで自虐的で自分大好きな私なので、Mっけが強いことには薄々気づいて居ましたが、もしかしたらドMかもしれません。でも、だからってよく知りもしない人から急に虐められたりするとブチ切れます。それがたとえ言葉責めのレベルであったとしてもだ(だから勘違いすんなよという威嚇でもありますこれは。為念)。あと、何の信頼関係もないところで起こる、単なる虐めや辱めや虐待も好みではありません。

タマ〜に「どっちかと言えばSだよね」と言われることがあるのですが、よく見てりゃそんなわけないことくらいわかるだろう!と思います。私がコマメにツッコむからそう思ってるのかもしれませんが、ツッコミだって私の場合はものすごいサービス(ご奉仕)精神でやってんですよ。私のツッコミは「(えらいこと取りにくいボケでも)拾う愛」です。愛がない場合は放置するから、あるとすればそれこそが私のSっけです。ぱっと見のツッコミとしゃべり口調だけでS認定するとは、なんという浅薄! と、私のことをSと言う人に対してはSになってしまう傾向がある(それで余計にSだと思われる)のは、信頼関係を築けていないからかもしれません。まあ、それはそれでいいんだけど(どっちだ)、どっちにしろそういうのはあんま楽しくないので、私には嗜虐精神が少ないのでしょう。

SとMは信頼関係があってこそですね、よく言われることだけど(そんなに詳しくもないけれど)。考えると確かにそうだと思う。だって例えば両手両足を縛られちゃったら急に心臓刺されても一切抵抗できないわけで、よく知らない人にそんなことできないどころか、よっぽど信頼してなきゃそこまで自分をゆだねきれないですもん。精神的にも同じことで、自分をさらけ出すというのはかなりの危険を伴う行為なわけだし(ココロはふぐの白子みたいにふわふわでやわこいものだから、いつもシャッターを開けっぱなしにしてると心無い人にぐさぐさにされちゃう)。そんな危険と隣り合わせだと知っててもなお「ゆだねちゃいたい」「さらけ出したい」気持ちがあれば、それがMなんだろうと思います。チキンレースのようなものです。ちょっと違います。

私の周りはSっけ強めが多いので、Mのよさをおそらくあんまり分かってくれないけど、真髄は、精神的にしろ肉体的にしろ「そこまで自分をゆだねちゃう」ってとこにあるのではなかろうか結局。相手に対する信頼感と、本能的な恐怖との間で、ぐらぐらになるのこそが。私は自虐的とは言え普段はブレーキかけてますけれど、何かの拍子にうっかりと「ゆだねきる」ことが、もしかしたらできてしまうかもしれないなと、こないだ思ったのでこれを書きました。そして少し開いたその扉の向こうに深くて暗い穴がぽっかりと広がっているのが一瞬チラリと見えて、それが怖ろしいと思いました。行くと戻れない道が自分の中にあると知るのは、怖ろしいことです。「知らない方がよかった」というやつです。

そして友人にこの話をしたら「SとかMとか、そんなことを言ってると幸せになれないよ」と言われました。彼女はドSです。

楽しくないなら早く大人に

20代後半に「こっちの水は甘いぞう」と呼びかけるくらいに、30代が楽しいです。こんなこと言ってるから結婚が遠いんだけどな! そりゃ親も心配するわな(ごめん)。

土日は友人一同と、ひとの家→カラオケ→また別のひとの家のハシゴでした。まあもちろん少しずつ脱落者が出て減っていくんだけど、私は最後までいるタイプ(微熱があっても「私がいない間にものすごく楽しいことがあったらイヤだから」と学校へ行っていたタイプ)。どれだけ寂しん坊なのか。

世間的には一応「大人」とされる人間が何人も集まってバカ騒ぎするのは本当に楽しい。だって本当に食って飲んで歌って踊るんですよ! 踊るって! 欧米人! プロム!(と言いながらアバで踊っていました) 数年前に仕事がらみの人たちばっかりで、仕事の延長でUSJで遊んだことがありますが、アレと同じ楽しさ。昔の会社の人たちと温泉に行って朝までUNOやった時とか。皆いい社会人なのに、同じ体温ではしゃぎまくる! 出自はバラバラなのに、せ〜ので同じ波に乗れる! そう、やっぱりどうやら「大人は楽しい〜!」(エレファントラブ)みたいなのです。

でもねえ、「このメンツが皆一緒に揃って朝まで遊ぶ」ってことが そう遠くない将来にできなくなることを知ってしまっているから、そして、もう今の時点ですでに「あの時はバカみたいに楽しかったなぁ」と思い出すことがわかってしまっているから、バカ騒ぎしつつもちょっとの時間を惜しむ感じがするのです。だって本当に出自がバラバラなんだもん。もちろんこれがただのすれ違いだとは思わないし、完全に縁が切れちゃうことはないとも信じているし、これからも小規模に会ったりするんだろう。でも、こんな風に合宿みたいな遊び方なんていつまでもできないもんね。中高生みたいに「卒業してもずっと皆で一緒に遊ぼうね!」なんて青いことは、言えません。

この感じって、リアルハチクロ(回想してる竹本くん目線)なんだわ、と言ったら言い過ぎか。言いすぎですね。そんなエエもんちゃうわな。すみませんすみません。

ハチミツとクローバー ホイップちゃん ぬいぐるみ

ハチミツとクローバー ホイップちゃん ぬいぐるみ

さらに思った

いつだったか昔ココで、私が前から村上隆のことを嫌いだった理由を分析して(というよりも、id:TomoMachi氏の分析の尻馬に乗っかって)、彼を無事「箱に入れる」ことで ふう、と落ち着いたことがあります。その日記はもう消しちゃったけど。もったいなかったかな。

今回のことで、そのことも含めてまた分類が進んだかもしれません。つまり箱に貼るラベルがよりわかりやすくなった。

結局のところ私が重視しているのは「蓄積(中身)と技術(表現力)」のバランスなんですよね。蓄積ばっかりで技術が稚拙な人は、今回の「中途半端で勘違い」の箱行き。高い技術が突出してて、もひとつココロが見えないのは「村上隆」箱へ。ええ、どっちもキライです。

プロは、両方ちゃんとしてなきゃダメです。私が好きな表現者たちは、多分皆「蓄積と技術」のレベルが素晴らしく高いんだと思います。いや、プロアマ問わず、私が好きな人たちは皆そうです。*1

*1:しかしシロウトは実はどっちでもいい。そこまで厳しく断じませんがな。そんなことしたらぜんぶ自分に返ってきちゃう。一応どっちでもいいんですけど、「中身は濃いけど表現力がイマイチ」な人々の方がより愛すべき・尊敬すべき感じがします