そういう道に進むつもりはさらさらないけれど。

いじられたがりで自虐的で自分大好きな私なので、Mっけが強いことには薄々気づいて居ましたが、もしかしたらドMかもしれません。でも、だからってよく知りもしない人から急に虐められたりするとブチ切れます。それがたとえ言葉責めのレベルであったとしてもだ(だから勘違いすんなよという威嚇でもありますこれは。為念)。あと、何の信頼関係もないところで起こる、単なる虐めや辱めや虐待も好みではありません。

タマ〜に「どっちかと言えばSだよね」と言われることがあるのですが、よく見てりゃそんなわけないことくらいわかるだろう!と思います。私がコマメにツッコむからそう思ってるのかもしれませんが、ツッコミだって私の場合はものすごいサービス(ご奉仕)精神でやってんですよ。私のツッコミは「(えらいこと取りにくいボケでも)拾う愛」です。愛がない場合は放置するから、あるとすればそれこそが私のSっけです。ぱっと見のツッコミとしゃべり口調だけでS認定するとは、なんという浅薄! と、私のことをSと言う人に対してはSになってしまう傾向がある(それで余計にSだと思われる)のは、信頼関係を築けていないからかもしれません。まあ、それはそれでいいんだけど(どっちだ)、どっちにしろそういうのはあんま楽しくないので、私には嗜虐精神が少ないのでしょう。

SとMは信頼関係があってこそですね、よく言われることだけど(そんなに詳しくもないけれど)。考えると確かにそうだと思う。だって例えば両手両足を縛られちゃったら急に心臓刺されても一切抵抗できないわけで、よく知らない人にそんなことできないどころか、よっぽど信頼してなきゃそこまで自分をゆだねきれないですもん。精神的にも同じことで、自分をさらけ出すというのはかなりの危険を伴う行為なわけだし(ココロはふぐの白子みたいにふわふわでやわこいものだから、いつもシャッターを開けっぱなしにしてると心無い人にぐさぐさにされちゃう)。そんな危険と隣り合わせだと知っててもなお「ゆだねちゃいたい」「さらけ出したい」気持ちがあれば、それがMなんだろうと思います。チキンレースのようなものです。ちょっと違います。

私の周りはSっけ強めが多いので、Mのよさをおそらくあんまり分かってくれないけど、真髄は、精神的にしろ肉体的にしろ「そこまで自分をゆだねちゃう」ってとこにあるのではなかろうか結局。相手に対する信頼感と、本能的な恐怖との間で、ぐらぐらになるのこそが。私は自虐的とは言え普段はブレーキかけてますけれど、何かの拍子にうっかりと「ゆだねきる」ことが、もしかしたらできてしまうかもしれないなと、こないだ思ったのでこれを書きました。そして少し開いたその扉の向こうに深くて暗い穴がぽっかりと広がっているのが一瞬チラリと見えて、それが怖ろしいと思いました。行くと戻れない道が自分の中にあると知るのは、怖ろしいことです。「知らない方がよかった」というやつです。

そして友人にこの話をしたら「SとかMとか、そんなことを言ってると幸せになれないよ」と言われました。彼女はドSです。