『女教師〜』そして松尾スズキについて思ったこと

<感想・すもぐりバージョン>
ああ、松尾スズキだなあ、って思った。彼のお芝居はいくつか映像で観ただけで生で観るのは初めてだけど、なんかわかる。わかった気になってるだけかもしれないけど、まあ、初心者なりにわかった気になって書く。『女教師〜』の、っていうより、松尾スズキという人の感想。

松尾スズキという人の大前提なのかもしれないけど、改めて「暗い明るさ」を感じた作品。直前にウェルメイドなお芝居(『宝塚BOYS』)を観ているので余計に感じるのかもしれない。

基本的にギャグは満載。脚本で笑えるのももちろん、役者の笑わせてくれる力もスゴイ(サダヲに限らず)。時事ネタ含めたたくさんのギャグで、めちゃくちゃ笑えるんだけど、作品全体を貫いているのは人間の業の負のイメージ。


だいたい松尾スズキは素直に人間賛歌をうたわない。彼に注目してると、同じ感じの言葉が繰り返し届けられることに気づく。「大卒」「中卒」「名刺」「生まれつき」「きちがい」「しょうがない」「手のひらサイズ」「こぶし大」。何度も出てくるモチーフは「監禁」「知的・肉体的障害者(というより「不具者」といった方がふさわしい*1)」「宗教」「セックス」「狂人」ってこんなの公共の電波に乗せてお茶の間にお届けできません!タブーだらけの水泳大会!でも、単におもしろおかしく描かれているのではなく、観客にショックを与えるということも含めて、すべてに必然性があるのだろうけれど。


松尾作品見てると「人間なんてどうせ皆不具者、健全な奴なんていない。皆狂っているんだから、狂ったままで限りある人生を楽しみましょうか。ね。楽しみましょうよ。この逃げ場のない檻の中で」って言われているきもちになる。

人は皆ひとしく「人生」から逃れられない、死ぬまで。「限りある世界」*2に本気で気づいてしまうと人は狂わずにいられなくなる。どこまでも限りないと思いたいから、どこまでも可能性があると思いたいから、それはもう人生をかけた切ない願いだから、否定されると狂う。「君には時間も空間も、ないんだよ。もしかしてあると思ってたの?どこまでも行ける、とか、思ってた?」。

たぶん、私も含めたほとんどの日本人がそこらへんをあいまいに「わかってるふり」して過している。「わかったふり」じゃどうにもならない状況の人のために宗教があるんだろうけど、だからって安直に、一種バカになることで「救い」が得られる宗教に頼るんじゃなく、結局死ぬまで(死んでも?)救いなんかないんだという諦めと、それでも小さくまとまって生きるしかできないという業を小脇に抱えながら、人生という檻の中で見世物になる。そして「わかってるふり」して見ているあなたもまた、誰かにとっての見世物なのだ(ドーン!)。芝居(に関わる人々)を描く芝居、という入れ子構造がうまくはたらいて、そういうことをズバーンとつきつけられてる気がする。

「範囲ここまで」っていう檻を知恵と工夫でできるだけ広くしよう、快適にしよう、っていうのが普通の人間だとしたら、松尾さんみたいな人はその檻を中からガンガン叩いて、ガンガン叩きまくることで檻の狭さを実感しつつ、そとから見てる人にエンターテイメントとしてのオモシロと切なさを提供しているのかもしれない。「叩いてるw」「叩き続けてるw」「滑稽w」「でも叩くしかないなんて、なんか悲しい…」とかってオモシロ切なく気持よくなりながら見てると、不意にこう言われる「檻の中でもがく俺を見ているお前も、檻の中なんじゃー!ソトにいるつもりかー!!」。気持よくなってる場合か。

結局、人生はお芝居で、ショウほど素敵な商売はない!ってとこまでスコーンと行けば今度は逆にもう明るい、ってことになるのかな。狂わずに済む?

このお芝居も、前提というか横たわるテーマは重たいんだけど、ぶっ壊したい過去の伝統や既存の何かは壊れずに、壊したくない心や未来が壊れていっちゃうんだけど、細かいギャグと開き直ったバカバカしさと乾いた諦めで、結局変に明るい。ドロドロに湿ったぐずぐずの何かを乾燥させたくて必死でドライヤーかけてる感じ。マックスで強風で。そんでまあ表面はカラカラに乾くんだけど、最後ドライヤーの風に吹き飛ばされちゃう(表面だけね)。そんな感じ。どんな感じこれ。このたとえで伝わるの? とにかくまあ、逆説っぽくなるけど、ひねくれ、コンプレックスにまみれ、のたうち苦しんで、暗い奥の方*3から生まれてきた一連の作品は、やっぱり彼なりに暗く高らかにうたわれる、一周しちゃった「人間賛歌」なのだとも思う。

*1:「不具」が一発変換できない。差別語だから? 真剣に書くと長くなるけど、私こういうの好きじゃないわー。自主規制? 差別用語と差別そのものは似て非なるものでしょうに。

*2:松尾スズキは繰り返し「閉じられた宇宙」について語っている気がする。『ファンキー! 〜宇宙は見える所までしかない』というタイトルしかり、『キレイ』で語られる宇宙感(「宇宙の果て」を見に行こうとする登場人物がいて、「これが宇宙の果て? これが宇宙の果て? なんとまあ!」っていうセリフで、宇宙と人生が「閉じている」ってことを証明する)しかり。松尾さんは「宇宙は閉じている」派なんだろう。すなわち、「人間には限界がある」派なんだろう。あでも、「なんとまあ!」の後「花」になるし、わかんないな。ナウシカの最後(カタストロフィ→でもその後小さな芽が出てる)みたいな感じなんかな。どっちにしろ、私はココに関しては、肯定も否定もできん。共感しないが、反感もない。

*3:松尾さんには子宮があるんじゃなかろうか、と時々思う。